【サンジョバンニ洗礼堂】

 

 

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サンジョバンニ洗礼堂

 

 

いまサンジョバンニの洗礼堂が建っている場所には、ローマ時代、軍神マルスの神殿があったという。5世紀にその跡地に教会が建てられ、フィレンツェの守護聖人である洗礼者ヨハネに捧げられて、サン・ジョヴァンにと呼ばれた。それが11世紀に改築されて現在のようなロマネスク式の八角堂になったのである。この頃からフィレンツェでは毛織物業その他の手工業や商業が盛んになって大発展の時代に入り、1128年には現在本堂がある場所にサンタ・レパラータ大聖堂ができて、サン・ジョヴァンニはそれに付属する洗礼堂の役を務めることになった。

 

サン・ジョヴァンニは白大理石と様々の色美しい大理石を組み合わせて構築されており、この様式はサンタ・レパラータ大聖堂を改築して造られた現在の本堂とジョットの鐘楼にもそのまま受け継がれている。そしてフィレンツェの発展につれてその影響はトスカーナ地方の各地に及び、同じような手法による聖堂建築が生まれる基になった。

 

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サンジョバンニ洗礼堂の天井モザイク画

 

サン・ジョヴァンニ洗礼堂の中に入ると、八角形のドームの天井いっぱいに施されている金色燦然たるモザイクの見事さにまず目を奪われる。祭壇のある西正面のテーマは最後の審判だ。巨大なキリスト像の左右で天使達が角笛を吹き、その音につれて地下から続々と死者が甦って来て、大天使ミカエルにより正邪が量られ、正とされた者は天国へ、邪とされた者は地獄へと送られる。キリストは右手を上向きにして正なる者を天へ、左手を下向きにして邪なる者を地獄へと指し示している。キリストに向かって右のほうへ図像をたどってゆくと、最上段には天地創造に始まる旧約聖書の物語、第3段には受胎告知に始まる新約聖書の物語がずっと続いているのがよく分かる。これらのモザイクはチマブーエなどフィレンツェの画家達が下絵を書き、ヴェネツィアから招かれた職人達が14世紀初頭に完成させたものである。

 

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2階のガレリア(回廊)

 

色大理石を駆使した壁画の装飾も見事で、中2階に婦人席のためガレリア(回廊)が設けられているのは11世紀にはなおビザンチン建築の影響が強かったことを物語っている。色石で様々の幾何学模様を表している床のモザイクも見ものだ。

 

 

天国の門

天国の門

 

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ルネサンス美術史に名高い「天国の門」が出来上がるまで

 

サン・ジョヴァンニ洗礼堂では西側に祭壇があり、南北と東の3方に入り口があって青銅の扉が設けられている。その青銅扉はアンドレア・ピサーノ が制作し1338年に東入り口に取り付けられたのであるが、後に南入り口に移された。

 

ゴシック式独特の四つ葉形の枠に囲まれた28枚のパネル(板状のもの)からなり、洗礼者ヨハネ の物語が浮彫りになっている。

 

北入口の青銅扉はルネサンス美術の歴史に名高いコンクールの対象になったものだ。12世紀末にフィレンツェではコムーネ (都市国家)が確立し、有力な商人組合の連合体が政権を握って、大繁栄の時代に入った。ところが14世紀にはいると近隣の都市国家との戦いで2度までも大敗を喫し、あまつさえ大洪水やペストに襲われたりで沈滞の極に達していった。そこで1401年にフィレンツェ最大の商人組合であったカリマーラ(毛織物業者組合)が主催して、北入口の青銅扉の製作者を公募し、市に活況を呼び戻すきっかけにしようとしたのだった。

 

課題はゴシック式の四つ葉形の枠内に収まるように、旧約聖書の「イサクの犠牲 」をテーマにした青銅の浮彫りを制作することであった。

 

審査の結果ギベルティブルネッレスキの作品が残り、優劣を決しかねた選考委員会は両者同点ということにして、2人共同で北入口の青銅扉の製作を行うようにすすめた。しかしブルネッレスキは共同制作を嫌い、勝ちをギベルティに譲って、自らは古代の建築や彫刻の研究をすすめようと ローマに旅立ってしまう。2人の課題作品は今でもバルジェッロ博物館の2階に並んでいて、見比べることができる。

 

ギベルティのほうは旧来のゴシック式の伝統を受け継いでバランスよくまとめてあるのに対し、ブルネッレスキのほうは登場人物の動きをリアルに表現し劇的な迫力に満ちているといわれる。史家はこのコンクールをもってルネサンス美術が黎明を告げたとしている。

 

ギベルティは約20年がかりで北入口の青銅扉を完成した。テーマは新約聖書の物語である。そして、引き続き残りの扉の製作をも依頼された。最初にアンドレア・ピサーノが作った東扉と同じく、ギベルティが作った北扉もゴシック式の枠に囲まれた28枚のパネルからなっていたが、残り一つの扉についてはゴシック式の枠を除き、絵画のタブロー(板絵やキャンバス絵)を思わせるような10枚の広いパネルにして鍍金(メッキ)を施し、周りを装飾的な浮彫りで囲むという構成になっている。テーマは旧約聖書の物語で、遠近法を巧みに取り入れ、従来の浮彫りとは趣の違う深みをよく表現している。すでに老境に入っていたギベルティは息子たちやミケロッツォゴッツォーリなどの助けを借りて、1452年にこれを完成した。足かけ27年がかりの労作であった。

 

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天国の門

 

その出来映えが見事だったので、大聖堂に面する東扉に使われるようになり、アンドレア・ピサーノが作った既存の東扉は南入口に移された。ミケランジェロはこのギベルティの作品に大きな感銘を受け、「天国の門」と評した。以来、「天国の門」という名で知られるようになり、今ではパネルのオリジナルはドゥオーモ付属美術館に移され、元の場所にはレプリカ(複製品)が取り付けられている。

 


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