【サン・フランチェスコ聖堂
上聖堂のフレスコ画】
明るく広々とした聖堂は、十字架と葉の模様で縁取られたクロス・ヴォールト天井を持つ4廊式の身廊で、翼廊、 多角形の後陣から構成されている。
4つのリブのあるヴォールト(曲面の天井または屋根)は、青地に金色の星と絵画で交互に装飾されている。
上の聖堂の身廊
Source:Google Map 360°ビュー
目次
身廊の装飾
身廊の装飾
身廊の最も重要な装飾は、身廊の下部に沿って若き日のジョットが描いたとされる28枚のフレスコ画だ。それぞれのベイには、身廊の両側のダドの上に3枚のフレスコ画、入り口の横の東廊に2枚のフレスコ画、さらに入り口の壁に2枚のフレスコ画が描かれている。
ジョットは、聖ボナヴェントゥラによる聖フランシスコの伝記『レゲンダ・マイオール』(1266年)に基づき、聖フランシスコの生涯における主要な出来事を描いた。この連作の原型は、ローマのサン・フランチェスコ・ア・リーパ教会にあるピエトロ・カヴァリーニの「聖フランチェスコ・サイクル」(現在は失われている)だったのかもしれない。描かれた絵は、あたかもジョットがこれらの出来事の目撃者であるかのように生き生きとしている。 ヴァザーリ によれば、これらの作品は1296年から1304年の間に制作されたという。
ただし、身廊の最後のベイに描かれた最後の場面(No.26-28)については、ジョットの作者であることが否定されており、これらの場面は通常、“聖チェチーリアの師匠”の名で呼ばれる匿名の作家の作品とされている。
身廊・下段にジョットの画が並ぶ
「敬意を受ける聖フランチェスコ」
見ず知らずの男が聖人の前に自分のマントを敷いて、聖人に敬意を表す。
「マントを譲る聖人」
高貴ではあるが貧しい貴族に自分のマントを譲る
「宮殿の夢」
聖人は、十字架の印のついた武具で満ちている夢を見た。
誰のものか問うと、「すべてお前と、その騎士たちのものである」という返事を聞いた。
「十字架の奇跡」
サン・ダミアーノ教会で祈っていた時、
十字架から3度「フランチェスコよ、行って私の教会をたて直しなさい。」
と語りかける声を聞いた。
「世俗からの離脱」
息子が財産を浪費しているとして父親から勘当された聖フランチェスコは、
自分の着ている服まで返して、父を否認する。
聖人の将来の清貧の生活への決定的な一歩を意味するものである。
「イノセント3世の夢」
教皇イノセント3世は、
今にも壊れそうになっている聖ヨハネ大聖堂を、
肩で支えている小男の夢を見た。
「会則の承認」
夢に見た小男(聖フランチェスコ)を目の前にした教皇は、
フランシスコ会の会則を認め、布教の許可も与えた。
「炎の戦車に乗り、輝く聖フランチェスコ」
聖フランチェスコは金色の光背に囲まれ、
戦車に乗って天空を駆け抜けている。
聖人はキリスト教の導き手、新しいリーダーとして登場する。
「玉座を見る」
一人の修道士が熱心に祈っていたとき、
天にある数多くの玉座の中に大きな栄光に輝いている玉座を見た。
すると、「この玉座は、倒れた者の一人が持っていたものだが、
今は謙虚なフランシスコのために用意されている」と言う声が聞こえたという。
「アレッツォでの悪魔祓いの様子」
聖フランチェスコはアレッツォの街の上に悪魔を見た。
神父のシルベスターに命じ、悪魔祓いをさせると、
とたんに町には平和が戻った。
「スルタンの前の聖フランチェスコ(火の試練)」
イエス・キリストへの信仰を示すため、
聖人はイスラム教の司祭たちと一緒に、火の中に入ることを提案するが、
司祭たちは恐れをなして逃げ去った。
「聖人の脱魂」
ある日、聖人が熱心に祈っていると、会員たちは聖人の体が宙に浮き、
一群の輝く雲が聖人を包むのを見た。
「グレッチオの飼葉桶」
キリストの降誕際にあたり、
聖人は、飼葉桶と動物を用意させ、キリストの貧しさについて説教したが、
その時ひとりの修道士が飼葉桶の中に幼いイエスが横たわっているのを見た。
「泉の奇跡」
聖人がロバで旅をしていたとき、
そのロバの持ち主の農夫が渇きで死にそうになったので、祈りをすると水が湧きだした。
しかし、水を飲んだ後、この泉は消えたという。
「小鳥たちに説教する聖人」
べバニヤというところに行く途中、聖人は自分が近づいても飛び立たない鳥の群れに出会った。
聖人は、小鳥たちに説教をし始め、小鳥たちは嬉々としてその祝福を受けていた。
「チェラーノの騎士の死」
聖人を尊敬していたチェラーノの町の騎士が、聖人を自宅に招待した時、
聖人が騎士の霊の救いのために祈ると、騎士は心の準備と家の後始末をし、
家人が食事の準備をしている間に急死した。
「教皇ホノリウス3世の前で説教をする聖フランチェスコ」
かって聖人は教皇や枢機卿たちの前で説教をしたことがあるが、
聞く者にはその説教が、聖人を通して語られた神の言葉である、
と感じられた。
「アルレスの総会議に出現」
パドアの聖アントニュウスがアルレスの総会議で説教をしているとき、
聖フランチェスコが姿を現し、
会員たちを祝福するのをモナルドという会員が見た。
「聖なる傷を受ける聖人」
ベルナ山で祈る聖人に、十字架にかかった天使の姿でキリストが現れ、
その両手両足、さらに脇腹から光が発し、聖人にキリストと同じ傷が印された。
「聖フランチェスコの死」
聖人の帰天の際、
その霊魂が輝く星の姿のもとに、天に昇っていくのを一人の会員が見た。
「フラ・アゴスティーノとアッシジの司教グイドに帰天を知らせる」
聖人が死去した同じ時刻に、
病床でこん睡状態にあったフラ・アゴスティーノが、突然起き上がり
「父よ、私も一緒に行きます」と叫んで息絶えた。
また、アッシジの司教に「私は天国へ行く」と聖フランチェスコが伝えたといわれている。
「聖痕の確認」
聖人の遺体を、ジェロームという有名な医者があらためたところ、
両手、両足、脇腹に傷痕があるのを確認した。
「聖キアラに追悼される聖フランチェスコ」
聖人の遺体は、
木の枝とローソクを手にした群衆に付き添われながら、アッシジの町に移送されたが、
その際に、サン・ダミアーノ教会の前で聖キアラや修道女たちと対面した。
「聖フランチェスコの列聖式」
教皇グレゴリウス9世は、アッシジに来たとき、
会員(フランシスコ会)たちの証言する奇跡を詳しく調べた後、
フランチェスコを聖人の位にあげた。
「教皇グレゴリウス9世の夢」
教皇グレゴリウス9世は聖人が脇腹に傷を持っていることを少し疑っていた。
グレゴリウス9世の夢に現れた聖人は、コップを求め、それに脇腹の血を満たして見せた。
「聖人の信奉者の病を癒やす」
臨終を宣告されたイレルダのヨハネという人が、祈ったところ聖人が現われ、
優しく触れて完全に病気を治したという奇跡の場面。
「蘇った未亡人の懺悔」
大罪をもって死んだある未亡人が、聖人のとりなしによって生き返り、
懺悔を済ませて再び死んだという。
心が淸められたことは、悪魔が天使に追われている図で示されている。
「悔い改めた異端者の釈放」
異端説を唱えたとの罪で監獄にとらわれた囚人が、
聖人の祝日の前日に断食して、そのとりなしを求めたところ、
その祝日に釈放された。
身廊の南壁と入口の壁には、新約聖書のエピソードが、壁の下部を占める聖フランチェスコの伝説の上に描かれています。これらのシーンのいくつかはジョットによるものとされている。しかし、多くの学者はこの説を否定している。
「ファサードの内壁に描かれたフレスコ画」
上の聖堂の身廊に描かれたフレスコ画。
下段には「聖フランチェスコ伝説」の2つの場面が、
上段にはキリストの聖霊降臨と昇天が描かれている。
「聖霊降臨」
「キリストの昇天」
「嘆き」
入り口の丸天井には、「4人の教父」が描かれている。聖グレゴリウスは聖ヒエロニムスと、聖アンブロジウスは聖アウグスティヌスと向かい合っている。これらは"イサクの巨匠"といわれる匿名の作家の作とされている。
4人の教父
2つ目の丸天井には、ヤコポ・トリーティにより、聖フランシスコ と向き合うキリスト と、洗礼者ヨハネ と向き合う聖母の胸像が描かれている。
2つ目の丸天井
第3のベイの中段にある「イサクの生涯」を描いた2つのフレスコ画(イサクがヤコブを祝福し、イサクの前でエサウを祝福する)は、 伝統的に若きジョット の作品とされている。しかし、これにも賛否両論がある。多くの批評家は、これらの作品を"イサクの巨匠"といわれる匿名の作家とその工房の作品と評価している。 また、そのスタイルがローマ派の特徴を示していることから、この匿名の作家はピエトロ・カヴァリーニ かその弟子ではないかと考える人もいる。ピエトロ・カヴァリーニは、1290年頃、ローマのトラステヴェレにあるサンタ・チェチーリア教会の修道院で、ヤコブを祝福するイサクの同様のフレスコ画を描いている。休息しているイサクの位置は、カヴァリーニがローマのサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会の後陣に描いたモザイク画「聖母誕生」の聖母の位置と同じである。 イサクの巨匠は、その後の数世紀にわたって壁画に革命をもたらした真のフレスコ画技法の最初の実践者の一人とされている。
ヤコブを祝福するイサク
イサクがエサウを拒絶する
翼廊と後陣の装飾
翼廊と後陣の装飾
上の聖堂のトランセプト の西端やアプスに描かれたフレスコ画のほとんどは、チマブーエとその工房によって一度に描かれたものである。フィレンツェ出身のチマブーエは、アッシジで活躍した壁画制作者の中では最も知られた人物である。
西側のトランセプトとアプス
東側のトランセプトとアプス
チマブーエの指導のもと、トランセプトとアプスに描かれた大規模な絵画プログラムの主題のほとんどは、聖堂西側部分の祭壇に記された奉納文に基づいている。その碑文(13世紀のもの)によると、南側のトランセプトの祭壇は大天使ミカエルに、主祭壇は聖母の誕生に、北側のトランセプトの祭壇は使徒またはペテロとパウロに捧げられていたという。したがって、アプスには聖母の生涯から聖母被昇天に至るまでの場面が、南側のトランセプトには黙示録のモチーフと東壁の大きな「磔刑」のフレスコ画が、北側のトランセプトのアームには使徒の生涯からの場面ともう一つの大きな「磔刑」のフレスコ画が、交差部のヴォールトには福音書記者(ペテロとパウロ)が描かれている。
これらのフレスコ画のほとんどは、損傷により画像の識別が困難であるが、かろうじて識別できる一部の画像は、以下の通り。
南側トランセプトの東壁に描かれた大きな磔刑のフレスコ画である。
「磔刑」
南側トランセプトには、磔刑のフレスコ画に隣接する壁に沿って、黙示録の5つのシーンがある。これらの場面では、天と地を結ぶ仲介者としての天使の役割が特に強調されている。描かれているのは、24人の長老と多くの天使による子羊の礼拝、第六の封印の天使、神の祭壇で香を焚く天使、バビロンの崩壊を告げる天使、「間もなく起こるべきこと」を示すために神から派遣された天使などである。
「黙示録の一場面」
この絵は、最初の3つの場面、すなわち「二十四人の長老と多くの天使による子羊の礼拝」、
「第六の封印の天使」、「神の祭壇で香を焚く天使」が描かれている。
北側トランセプトでは、チマブエとその工房によって、ペテロとパウロ、特にペテロに捧げられた連作によって、上層部の装飾が補完された。この作品は5つの場面で構成されている。ペテロが足の不自由な人を癒す場面、ペテロが病人や憑依された人を癒す場面、シモン・マガスが倒れる場面、ペテロが磔にされる場面、そしてパウロが斬首される場面である。
「ペテロが磔にされる場面」
アプスに描かれた聖母の生涯の場面は、イタリア絵画史上初めてマリアに捧げられた大規模なプログラムである。上部区域の絵画はほとんど破壊されている。教皇の玉座の左右の壁面にある4つの画は、聖母の死と栄光に捧げられている。「聖母の臨終による使徒たちの集合」に続き、「聖母の死」と「聖母被昇天」が描かれている。ここで紹介する最後の絵は、仲裁者としての聖母が、キリストと並んで天上の玉座に座っている様子を表している。両者の脇には、天使、家長、預言者、聖人、フランシスコ会の人々が並んでおり、玉座の左側では、聖フランシスコが自分の修道会の仲間たちを聖母に推薦している様子が描かれている。
「天上の玉座に座るキリストと聖母」
Source: Web Gallery of Art
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